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東京地方裁判所 平成7年(ワ)15790号 判決

東京都小金井市中町二―五―五

原告

田中喜平

右訴訟代理人弁護士

小松哲

東京都千代田区霞が関一―一―一

被告

右代表者法務大臣

長尾立子

右指定代理人

新堀敏彦

田部井敏雄

吉岡榮三郎

長谷川貢一

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  主位的請求

被告は、原告に対し、金六三五二万九二〇〇円及びこれに対する平成七年九月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  予備的請求

原告と被告との間において、原告の昭和六三年八月四日相続開始に係る相続税債務の残額が金二九三五万〇六七六円を超えて存在しないことを確認する。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、田中磯吉が昭和六三年八月四日死亡したことにより、同人の財産を相続し、右相続に係る相続税(以下「本件相続税」という。)につき、別表記載のとおり期限内申告(以下「本件期限内申告」という。)及び修正申告(以下「本件修正申告」という。)をした。

2  原告は、これまでに、本件相続税につき、延納手続に基づいて、本件期限内申告分のうち八九四万六四〇〇円、本件修正申告分のうち六三五二万九二〇〇円を納付した。

3  しかしながら、本件修正申告は、次のとおり錯誤によってしたものであり、無効である。

(一) 原告は、本件期限内申告に際し、相続により取得した財産のうち別紙物件目録記載一及び二の土地(以下、「本件一土地」、「本件二土地」といい、また、一括して「本件各土地」という。)について、納税猶予に関する適格者証明書を申告書に添付した上、租税特別措置法(平成三年法律第一六号による改正前のもの。以下「措置法」という。)七〇条の六第一項所定の農地等の納税猶予の特例(以下「本件特例」という。)適用の申請手続をした。

(二) ところが、右申告後間もなく、東村山税務署の担当官(以下「本件担当官」という。)から、本件各土地では、温室における鉢植栽培が行われているにすぎないから、本件特例の対象となる農地等に当たらないとして、強く修正申告の勧奨を受けたため、原告は、本件相続税には本件特例の適用がないものと誤信して本件修正申告をした。

(三) しかし、鉢植栽培が行われている本件各土地は、本件特例の対象となる農地であって、本件相続税には本件特例が適用されるというべきであるから、本件担当官の勧奨に従いその適用がないと誤信して行った本件修正申告は、過大な税額を内容とする誤ったもので、錯誤により無効である。

4(主位的請求)

したがって、被告は、原告が本件修正申告に基づきこれまでに納付した六三五二万六四〇〇円を不当に利得したものである。

5(予備的請求)

(一) 被告は、原告の本件相続税債務の残額は、本件修正申告に係る税額二億四一五三万九六〇〇円から既に納付済みの七二四七万五六〇〇円を控除した一億六九〇六万四〇〇〇円であると主張している。

(二) しかし、本件修正申告は錯誤により無効であるから、原告が負担すべき本件相続税債務の残額は、次のとおり二九三五万〇六七六円である。

(1) すなわち、原告が負担すべき本件相続税債務は、本件期限内申告に係る税額二九八〇万六四〇〇円であり、このうち八九四万六四〇〇円は納付済みであるから、その残額は二〇八六万円である。

(2) ところが、原告は、本件修正申告に基づき新たに納付すべきこととなった本件相続税を支払うために、本件一土地を譲渡したことにより、結果的に、本件期限内申告で申請した本件特例の適用が取り消され、本件一土地に係る本件相続税として七二〇一万九八七六円を追加納付すべき義務が生じる。しかし、原告は、無効な本件修正申告に基づいて既に六三五二万九二〇〇円を納付済みであるから、これを差し引いた八四九万〇六七六円の債務が残ることになる。

(3) したがって、右(1)の残額に(2)の債務を合計した二九三五万〇六七六円が、原告の負担すべき本件相続税債務の残額である。

6  よって、原告は、被告に対し、主位的請求として、不当利得返還請求権に基づき六三五二万九二〇〇円及びこれに対する平成七年九月二九日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるとともに、予備的請求として、本件相続税債務の残額が二九三五万〇六七六円を超えて存在しないことの確認を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の反論

(認否)

1 請求原因1及び2の事実は認める。

2(一) 同3(一)のうち、原告が相続により本件各土地を取得したこと、納税猶予に関する適格者証明書が申告書に添付されていたことは認めるが、その余の事実は否認する。

原告は、本件各土地について本件特例の適用を受けるために必要な申告手続をしていない。

(二) 同3(二)のうち、本件担当官が原告に対して修正申告を勧奨したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(三) 同3(三)は争う。

3 同4は争う。

4 同5のうち、(一)は認めるが、(二)は争う。

(被告の反論)

1 措置法七〇条の六第一〇項、同法施行規則(平成三年大蔵省令第一七号による改正前のもの。以下「施行規則」という。)第二三条の八第三項によれば、本件特例の適用を受けるためには、相続税の申告書に本件特例の適用を受けようとする農地等の記載をし、〈1〉 農地等に係る納税猶予分の相続税の額の計算に関する明細書、〈2〉 提供しようとする担保の種類、数量、価額及びその所在場所の明細を記載した書類、〈3〉 担保の提供に関する書類、〈4〉 農地等の地目、面積及びその所在場所その他の明細並びにその農地等の農業投資価格並びにこれを基準として計算したその農地等の価額を記載した書類、その他所定の書類を添付して、その申告書を期限内に提出することが必要であり、右記載又は書類の添付がない場合には、本件特例は適用されないものとされている。

ところが、原告が被告に提出した本件期限内申告書には、本件特例の適用を受けようとする旨の記載がされていないばかりか、前記〈1〉ないし〈4〉の書類も添付されていないから、本件各土地が本件特例の対象となる農地等に当たるか否かにかかわらず、本件特例の適用を受けることはできないのであって、本件各土地につき本件特例の適用があることを前提として本件修正申告の錯誤をいう原告の主張は失当である。

なお、原告は、本件期限内申告において、本件各土地の価額について、通常の評価額によらず農業投資価格を基に計算するという誤りを犯していたことから、本件担当官は、右価額を修正するよう勧奨したものであって、右勧奨は正当なものである。

2 原告の予備的請求は、本件各土地について本件特例の適用が認められれば、本件期限内申告に係る税額二九八〇万六四〇〇円を超える租税債務は存在しないことになるとの主張を前提とするものと解されるが、本件特例は、単に特例農地等に係る相続税相当分について一定の時期まで納税を猶予するというにすぎず、相続税債務を当然に免除するものではないから、原告の右主張は誤りである。

三  原告の再反論

1  措置法七〇条の六第一〇項は、添付書類が一部でも欠けると常に本件特例の適用が否定されるのかどうかについては明らかにしていないし、国税庁長官の昭和五〇年一一月四日付け直資二―二二四、直審五―三二、徴管二―六五「農地等に係る贈与税及び相続税の納税猶予等の適用に関する取扱いについて」と題する通達も、農地等の評価又は税額計算の誤りがあり、その誤りのみに基づいて修正申告があった場合に本件特例の適用がある旨を定めていることからすると、相続税の期限内申告書に本件特例の適用を受けようとする旨の記載がなく、所定の添付書類が一部欠けていても、他に本件特例の適用を受けようとすることを示す書類が添付されている場合には、本件特例の適用は否定されないというべきである。

2  また、本件担当官は、原告に対し、本件特例の申請としては添付書類が足りないものの、書類の修正追加は後からでもできるが、そもそも鉢植栽培を行っている本件各土地は本件特例の対象となる農地等に当たらないと述べて、本件修正申告を勧奨したのであり、本件担当官は、本件期限内申告書にその旨の記載がないにもかかわらず、右申告が本件特例の適用を求めていることを認識し、添付書類の追完が可能であることを認めていたのであるから、被告が、本件期限内申告書に右記載及び書類の添付を欠くことを理由に、本件特例の適用がないと主張することは信義則に反し許されないと解すべきである。

3  本件特例は、措置法七〇条の六に規定する免除事由を停止条件として、猶予に係る租税債務を消滅させるものであるところ、本件担当官の本件修正申告の勧奨は、故意に右免除事由の発生を妨げる行為であるから、民法一三〇条により、本件各土地について免除事由が発生したものである。したがって、本件各土地について本件特例の適用があれば、本件期限内申告に係る納税義務のみが成立するのであって、予備的請求は正当である。

第三証拠

本件記録中の書証目録記載のとおりであるからこれを引用する。

理由

一  主位的請求について

1  請求原因1及び2の事実は当事者間に争いがない。

2  原告は、本件修正申告が錯誤により無効である旨主張するが、納税者が修正申告について錯誤による無効を主張できるのは、申告書の記載内容の錯誤が客観的に明白かつ重大であって、法定の是正方法以外の方法による是正を許さないとすれば、納税者の利益を著しく害すると認められる特段の事情がある場合に限られるものと解すべきである。

そこで、本件修正申告に至る経緯について検討するに、前記争いのない事実に、成立に争いのない乙第一ないし第三号証並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められ、その認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  原告は、平成元年三月三〇日、東村山税務署長に対し、本件相続税について本件期限内申告書を提出したが、右申告書には、本件特例の適用を受けようとする旨の記載はなく、添付書類についても、相続税の納税猶予に関する適格者証明書が添付されていた(申告書に右適格者証明書が添付されていたことは、当事者間に争いがない。)ほかには、農地等に係る納税猶予分の相続税の額の計算に関する明細書や提供しようとする担保の種類、数量、価額及びその所在場所の明細を記載した書類(施行規則二三条の八第一号)、担保の提供に関する書類(同条の八第二号)、農地等の地目、面積及びその所在場所その他の明細並びにその農地等の農業投資価格並びにこれを基準として計算したその農地等の価額を記載した書類(同条の八第七号)といったものが一切添付されていなかった。

(二)  また、本件期限内申告書に記載された原告の納付すべき税額二九八〇万六四〇〇円は、本件特例が適用される場合の所定の計算方法(措置法七〇条の六第二項)ではなく、通常の計算方法によって算出されたものであるが、課税価格の計算に際し、原告が相続した本件各土地の価額について(原告が本件各土地を相続により取得したことは、当事者間に争いがない。)、市街地周辺農地としての通常の評価額(本件一土地二億〇八五三万三一二〇円、本件二土地二億一八四八万九〇二四円)によって計算すべきところを、農業投資価格(措置法七〇条の六第二項一号、第五項参照)を基に計算する(本件一土地八七万四四四〇円、本件二土地九一万六一八八円)という誤りがあったため、右申告に係る税額は、適正に計算された税額と比較すると過少なものとなっていた。

(三)  原告は、本件担当官の勧奨を受け(本件担当官が修正申告を勧奨したことは、当事者間に争いがない。)、平成元年四月一二日、東村山税務署長に対し、本件修正申告をし、課税価格に算入する本件各土地の価額を前記の通常の評価額によって計算した上、これに伴い、納付すべき税額を二億一一七三万三二〇〇円増加する旨修正した。

3  原告は、本件相続税には本件特例の適用があるのに、本件担当官の勧奨に従い、その適用がないと誤信して行った本件修正申告は、過大な税額を内容とする誤ったもので、錯誤により無効である旨主張する。

しかしながら、措置法七〇条の六第一〇項、施行規則二三条の八によれば、本件特例は、相続税の期限内申告書に農地等につき本件特例の適用を受けようとする旨の記載がない場合又は当該申告書に当該農地等の明細書その他所定の書類の添付がない場合には、適用しないとされているところ(なお、本件特例の適用については、いわゆる宥恕規定は設けられておらず、期限内申告書においてその申請手続がとられていない限り、その後に本件特例の適用を認める余地はない。)、前記認定によれば、本件期限内申告書には右記載がされていないほか、所定の書類のほとんどが添付されていなかったというのであるから、本件各土地が本件特例の対象である農地等に該当するか否かについて判断するまでもなく、そもそも、原告は、本件相続税について本件特例の適用の申請手続をとっておらず、その適用を受ける余地がなかったことが明らかである。

そして、前記認定によれば、本件期限内申告書に記載された原告の納付すべき税額は、本件各土地の価額の評価に誤りがあったため、適正に計算された税額と比較して過少なものとなっていたのであり、本件修正申告は、本件各土地の価額を通常どおりの評価額とし、これに伴って納付すべき税額を増加する修正をしたものであるところ、本件特例適用の点以外には、本件各土地の価額や税額の計算について本件修正申告の内容に過誤があるとの主張立証はないから、前示のとおり本件特例の適用が認められない以上、本件修正申告は適正な税額を申告するものであって、その内容に過誤は存在しないというべきであり、本件修正申告の錯誤無効をいう原告の主張は失当といわざるを得ない。

4(一)  原告は、本件特例の適用を受けようとする旨の記載がなく、所定の添付書類が一部欠けていても、他に本件特例の適用を受けようとすることを示す書類が添付されている場合には、本件特例の適用は否定されないと主張するが、前示のとおり、措置法七〇条の六第一〇項は、期限内申告書に右記載がない場合又は所定の書類が添付されていない場合には本件特例を適用しない旨明記しているのであって、原告の右主張は、右規定の文言に照らし、採用することができない。なお、成立に争いのない乙第五号証によれば、原告引用の通達は、期限内申告書において本件特例の適用の申請がされている場合には、当該申告に係る農地等の評価又は税額計算の誤りのみに基づいてされる修正申告又は更正により増加する税額についても、本件特例の適用を認めるという趣旨のものであることが認められ、本件のように、期限内申告書で本件特例の適用の申請がされていなかった場合について定めたものでないことは明らかであるから、右通達の存在は原告の主張の根拠となり得るものでないことはいうまでもない。

(二)  また、原告は、本件期限内申告書にその旨の記載がなくても、本件担当官は、右申告が本件特例の適用を求めていることを認識し、添付書類の追完が可能であることを認めていたのであるから、被告が、右記載のないことなどを理由に、本件特例の適用を否定することは信義則に反し許されない旨主張する。しかし、仮に原告主張のような本件担当官の言動等があったとしても、原告の主張によれば、結局、本件担当官は、本件相続税に本件特例の適用はないとしたというのであり、原告が右言動等を信頼し、これに基づいて何らかの行為をしたというわけではないのであって、本件訴訟において、、被告が、申告書に記載がないことなどを理由に本件特例の適用を否定することは、何ら信義則に反するものとはいえず、原告の右主張は失当というほかない。

5  以上のとおりであるから、本件修正申告が錯誤により無効であることを前提として、本件修正申告に基づき納付した六三五二万九二〇〇円の返還を求める原告の主位的請求は、理由がないというべきである。

二  予備的請求について

請求原因5(一)は当事者間に争いがなく、本件修正申告が錯誤により無効であるといえないことは前示のとおりであるから、原告の本件相続税債務の残額は、被告の主張するとおり、本件修正申告に係る税額二億四一五三万九六〇〇円から既に納付済みの七二四七万五六〇〇円を控除した一億六九〇六万四〇〇〇円である。

ところで、原告は、本件訴訟において、本件相続税債務の残額が二九三五万〇六七六円を超えて存在しないことの確認を求めているが、右請求は、原告がした本件期限内申告及び本件修正申告による本件相続税債務二億四一五三万九六〇〇円のうち、当事者間に争いのない納付済み税額七二四七万五六〇〇円を控除した残額(その上限は一億六九〇六万四〇〇〇円)についての確認を求める趣旨であることは、弁論の全趣旨に照らし明らかであるから、右残額が前記のとおり一億六九〇六万四〇〇〇円である以上、原告の右債務不存在確認請求は、全部理由がないことに帰するものであって、右請求については全部棄却の判決をすべきものである。

三  結論

したがって、原告の主位的請求及び予備的請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条及び民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐藤久夫 裁判官 岸日出夫 裁判官 徳岡治)

別表

〈省略〉

物件目録

一 所在 小平市上水南町三丁目

地番 六一二番五

地目 畑

地積 一〇一四平方メートル

二 所在 小平市上水南町三丁目

地番 六一三番四

地目 畑

地積 一〇九〇平方メートル

以上

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